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人体標本
jin

土曜日の[世界一受けたい授業]で、私は初めて人体標本を見た。
養老猛が、このTVで出演者や視聴者やみせるためドイツから空輸したらしい。
テーマは[死]だった。
模型と標本の違い。
模型は、一度人間の解釈と通って作られたもの。
標本は、本物を薬品や化学物質で永久的にそのもののまま形をとどめたもの。

うすうすは、知っていたものの・・・TVとはいえ、すごい衝撃を感じ感動が押し寄せた。
人間のからだには、筋肉やら血管やら脳やら・・・やたらと生なものがつまっている。
ところが、これがすごく!
幻想的なくらいに美しいのだ。
こんな繊細な可能性の器に入り、生まれたわたしたちって!
そうして、呼吸し生きているわたしたちって!!
そう、感じただけでなぜか生に対する喜びが湧きたつのはなぜだろう。

[現代は、共生する死を生活から忌み嫌い排除する時代]と養老さん。
こんな複雑な生なものがこれから先もずっと、人間の手で造られることはない。
どんなに文化が進もうが。[だから死を認識し、命を大切に生きましょう]と養老さんはくくった。
授業参加者の伊集院光が「僕でも(デブ)、献体できますか?」と先生に質問していたのがおかしかった。たぶん目の前の標本のあまりの神々しさに魅せられて、つい言ってしまった一言だったろうと思う。

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